ぐだぐだ。

毒にも薬にもならないハナシ

2年ぶりに会えたゆずはやっぱりゆずだった。

 

 

備忘録。

 

2018年、人生で初めて杜の音に当たった。台風でだめになって、結局文体でのライブになった。楽しかったけれど、悔しかった。それを経て2019年8月、やっと身曾岐神社のライブに来れた。身曾岐のライブに行くことは高校生の頃からの夢だった。ゆずっことしての夢は山ほどあったし、今もある。オーラスでツアーお疲れ様の唄を聴くこと。冬至の日ライブを生で観ること。街中で悠仁にばったり会うこと。誕生日にライブに行くこと。叶ったものもあるし、叶わなかったものもある。これから叶えたいことも。その中の一つが身曾岐ライブに行くことだった。

 

そんな10年越しの夢を叶えたあの日から、2年もゆずに会えなくなるなんてそれこそ夢にも思ってなかった。アルバムを出して、それを引っ提げたツアーをして、終わったらまたライブをして、そんな風に当たり前だった日常がずっと続くと思ってたし、それを信じて疑わなかった。この世に当たり前のことなんか何一つとしてないのにね。

 

 

TOWNが中止になって、オンラインでの開催が発表された日、悔しい気持ちも勿論あったけれど、でもやっぱりほっとした気持ちの方が大きかった。今はライブには行けない、でもライブは見たい。やってほしいけどわたしが行けないならやってほしくない、という自己中心的な気持ちを抱えていたから。だから、これは本当に英断だし、寂しいけれどそんな悠仁だから、厚ちゃんだから、ゆずだから、わたしは15年好きでいられたんだと心の底から思った。

 

 

 

配信でのTOWNは本当に素晴らしくて、これが生で観られなかったことは本当に悔いでしかない、こんなに準備してくれてたゆずの気持ちを考えるとやるせなかったからせめて画面の向こうから目一杯楽しもう、それがゆずっことしてできるすべてだと。

 

だから、そんなライブの終わり、有観客ライブをします!とゆずが高らかに宣言した時、正直、素直に嬉しかったかと聞かれたら嬉しさは20%くらいで、あとは全部戸惑いだった。どこか裏切られたような気持ちにさえなった。ゆずが観客を呼んでライブをする。2年も会えなかったゆずに会える。こんなに喜ばしいことはない。でも、果たして今ライブに行っていいのか?今このタイミングでライブをすることが本当に正しいことなのか?どうして今なんだろう。わたしが信じてきたゆずはそんな人たちだったっけ?身勝手にそんなことを考えた。

 

JAPANのインタビューを読んで泣いた私の気持ちを返して!なんてそんなことも考えた。ファンって勝手だよね。

 

 

 

 

行かなければ絶対に後悔する。だけど、行っても後悔する気がした。でもどのみちチケットがなければ行くも行かないもない、と応募を決意した。外れればそれまでだ。当たれば………うん。

 

 

 

 

結果、当たった。ほっとした半分、当たっちゃったよどうしよう半分。正直に言うとめちゃくちゃ悩んだし、思うことは本当にたくさんあった。あれから2年経っちゃった。あんなに好きなゆずのどこがどんな風に好きかわからなくなった。目に見えないからどこにあるのかもわからなくて、曲を聴いてもぴんとこなくて、会ってないと不思議と気持ちって冷めるもんなのかなって思ったりして。

 

 

でも、思えばわたしの好きなゆずは他人の言う間違ってるとかどうかより、自分たちが正しいと思ったことをしてきていた。震災があった年、世の中が今本当にライブをするべきなのかどうかわからない微妙なムードな中、「僕たちは今までも音楽でエールを送ってきたのだから、今こそエールを届けたい」とライブを決行してくれたのもゆずだった。きっと批判もたくさんあったと思う。でもそんな中で、二人でできる最大限のライブとして、ツアーの内容を大幅に変えて、スタッフもトラックも限界まで減らして、できるだけのライブをやってくれた。あの時のライブをわたしは忘れてない。最小限で最大限のことをいつもしてくれるのがゆずだ。変わらずに変わり続けるのがゆずだ。そんなゆずだから好きなんだ。

 

 

そんなゆずが考えて決めたことをわたしもちゃんと見届けたい。余計なものを全部取っ払って、結局残ったのは「ゆずに会いたい」もうそれだけだった。他の人がなんと言おうとわたしはゆずに会いたかった。

 

 

できる限りの対策をして挑むことに決めた。マスクはもちろんアルコール消毒、手洗いうがい、日々の体温測定、その他もろもろ。

 

 

 

 

前日はドキドキしてなかなか眠れなかった。朝起きた時も緊張で心臓が張り裂けそうだった。こんな気持ちになったのなんて何年ぶりだろう。楽しみより緊張で吐きそうで、心の底から楽しみだと思えないライブは生まれて初めてだった。

 

 

 

会場についてからも落ち着かなくて、ずっとそわそわしてた。人生で初めて座ってラジオ体操をして、シュールな気持ちになって少し楽しくなってる自分がいたのに、暗転してから一変、映像が流れた瞬間、訳もわからない気持ちになって気づいたら泣いてた。

 

 

二人の声だけでアゲイン2が始まって、体いっぱいにゆずの歌声を受け止めた時、暖かいお風呂に浸かって体の芯から暖まった時のように全てが満たされていくの感じて、やっぱり涙が止まらなかった。そうだった、これが、この歌声がずっと聴きたくて、ずっとここに来たかったんだ。この2年間、生きてるけど、生きてないみたいな、自分じゃないみたいな、どこか抜け殻みたいな気持ちでいた。でも、今、生きてることをものすごく実感してる。なんていうか、バラバラになってたパズルのピースが一つずつ嵌まっていく感覚というか、散り散りになってた心が元に戻ってくのをすごく感じた。長い間帰れないでいた実家に戻ってきたような安心感に包まれて、これが幸せだってことをはっきり思い出した。

 

 

 

感染対策のために1時間半と短い時間だったし、立つことも声を出すこともできない、勿論マスクは必須だし、途中換気タイムを挟んだり、規制退場だったり、いつもとは違うライブだったけれど、そんなこと気にさせないくらいの幸せをたくさんもらった。

 

 

悠仁も言ってたように、なにが正解なんて誰にもわからない、でも間違いなく今この瞬間が全ての答えだし、誰がなんと言おうとこの時間は間違いなんかではない。なんで今、とか考えたけれど、悠仁だってたくさん悩んで、迷って、わからなくなって、葛藤した末に決めたことで、ファンのことを考えてないとか、そんなこと1ミリもないのに自分のことばかりになって決めつけて、なにもわかってなかった。初日に「こんなに複雑な気持ちで迎えた初日は初めてです」と悠仁が言っていたと聞いて、同じなんだなと。

 

 

それに気づけただけでも、やっぱりここにきてよかった。中には否定的な人もいるだろうけれど、わたしはやっぱり、ゆずに会えない人生ならそんなものいらない。自分勝手だって怒られるだろうけど、ゆずに会えないで生きるなら、ゆずに会って死んだ方がましだよ。もちろんゆずに会って生きるのが一番なことは大前提で。

 

 

だってわたしは15年間ずっとそうやって生きてきたし、そういう生き方しか知らないから。

 

 

 

 

 

ということを「NATSUMONOGATARI」聴いてたらバーーー!!!って考えて、頭にしまっておけないから文章にしてみた。ライブから何日経ってるんだよ、今更なにをって感じだけど、ゆずくんが立ち止まる時、そしてまた歩き出す時、わたしはそれら全てをちゃんと見ていたいなと思いました。

 

 

 

 

イノセント・ラヴの好きなセリフがあって、殉也が「彼女(聖花)なしに僕の人生は有り得ない、彼女のいない世界で幸せになんかなれないんだ」って言った後に佳音が「だったら私、祈ります。あなたに幸せになってほしいから」って言うんだけど、それ、すごい好きなんですよね。ていうか好きな男にそんなこと言われて「祈ります」って言える?言えなくない?女神なのかな。

 

で、殉也のセリフに「それな」って思う。それ、わたしのゆずだわ。っていうかアンタだよ、って。ゆずのことどうしても世界で一番好きだなって思う時、このセリフを思い出す。ゆずのいない世界で幸せにはなれないな。

 

 

 

だからね、本当に幸せな空間の謳おう(in your heart)を、ゆずくんも、スタッフの方々も、ありがとうございました。心から感謝しています。そしてゆずもスタッフさんもゆずっこも、誰一人として何事もなく終わることができて、本当によかった。生きてるってすごいことだよね。

 

 

 

ゆずが、ゆずっこが、ゆずに関わる全ての人が、そうでない人も、健康でいられるように祈りつつ。必ず、またあおう。